• 東久留米交響楽団/Higashikurume Symphony Orchestra

    ファゴットの魅力

     「ファゴットの◯◯です」と自己紹介すると、「どんな楽器ですか?」と聞かれることが多いですね。確かにフルートやクラリネットに比べると格段に知名度は低いようです。なぜかというと、1)低音を担当するので地味、2)地味なのでファゴットを選ぶ人が少ない、3)大きくて重い楽器なので小さいときからはじめたりできない。でも、実はオーケストラにはなくてはならない楽器なのです。
     ファゴットはオーケストラの中でも特に個性豊かで魅力的な楽器で、そのユニークな音色と、時にひょうきん、時に厳粛な役割から「オーケストラの道化師(クラウン)」とも呼ばれます。
     しかし、その道化師の仮面の下には、深遠で、時には胸を締め付けるような美しい響きが隠されています。(私にその音色が出せるかどうかは、また別な話ですが。)
    今回はこの楽器の歴史から、その音色の秘密、そして演奏の難しさに至るまで、ファゴットの世界を皆様にご紹介しようと思います。

    ファゴットという楽器

     ファゴットは、フルートなどの木管楽器群の中で低音域を担当する楽器です。見た目の通り、その全長は約1.35メートルありますが、管をU字型に折り曲げているため、伸ばすことができれば2.5メートルにも及ぶ管長がコンパクトに収まっていることになります。オーケストラでは通常、オーボエの後、クラリネットの右隣に目立たないように座っています。
     クラリネットが一枚のリード(振動源となる薄い葦の板)を用いるのに対し、ファゴットはオーボエと同じくダブルリード(二枚のリードを合わせて作る)を用います。このダブルリードが、ファゴット特有の、わずかに鼻にかかったような、豊かな倍音を含む複雑な音色を生み出す鍵となります。よく「二枚舌」と言われますが、ファゴット奏者は概して正直者です。

    楽器の歴史:ドルチアンから現代のバソンへ

     ファゴットのルーツは、16世紀のヨーロッパに登場したドルチアン(Dulcian, またはCurta)と呼ばれる楽器に遡るそうです。このドルチアンこそが、今日のファゴットと同じく一本の木塊から管腔が先端で折り曲がるように削り出された、最古の低音ダブルリード楽器です。
     バロック時代(17世紀後半)に入ると、フランスを中心にドルチアンが改良され、いくつかのセクションに分解できる、より複雑な構造を持つ楽器が誕生します。これが「バスーン」(Bassoon, フランス語でBasson)または「ファゴット」(Fagott, ドイツ語・イタリア語)の直接の祖先です。
     その後、古典派、ロマン派と時代が進むにつれ、より正確な音程と広い音域を実現するために、キー(鍵)の数が増やされ、複雑なメカニズムが導入されました。特に19世紀には、ドイツのヘッケル式とフランスのバソン式という二大流派が確立され、現代に至るまで使用されています。私たちが現代のオーケストラで主に使用するのは、音色の豊かさと安定性に優れるヘッケル式が主流です。

    音色と特徴:低音の艶と表現力

     ファゴットの音色は、非常に豊かで多彩です。
     低音域(バス):楽器の長さ全体を使って響かせるこの音域は、重厚で温かみがあり、オーケストラの響きに深みと安定感を与えます。ベートーヴェンやブラームスの交響曲における和音の土台として、欠かせない役割を果たします。まるで年輪を重ねた大木の根元のような、揺るぎない安心感があります。
     中音域(テナー): 最も「歌う」ことができる音域です。人間のバリトンやチェロに近い、艶やかで哀愁を帯びた響きを持ちます。この音域で奏でられる旋律は、聴衆の心に直接語りかける力を持っています。チャイコフスキーの悲劇的なメロディなどが典型的です。
     高音域(アルト): この音域になると、音色は突然ユーモラスで、少し滑稽な、鼻にかかったような響きに変わります。これが「道化師」と呼ばれる所以の一つです。ストラヴィンスキーの《春の祭典》の冒頭ソロのように、神秘的で、あるいはシュールな雰囲気を醸し出すこともあります。しかし、この音域の運指が超絶に難しいのです。
     ファゴットの最も特徴的な表現の一つに「スタッカート」(音を短く切る奏法)があります。この奏法で演奏される音符は、「プッ」「ポッ」という愛らしい響きになり、軽妙な場面でオーケストラにウィットと軽快さをもたらします。

    有名なファゴットの楽曲とフレーズ

    ファゴットは、主役として、また名脇役として、数多くの名曲に登場します。

    • ラヴェル/ボレロ:全曲を通して同じリズムが続く中、ファゴットが弱音で粘り気のある、エキゾチックな旋律を奏でます。緊張感あふれる場面を彩る、非常に有名なソロです。
    • デュカス/交響詩《魔法使いの弟子》:物語の鍵となる、水を運ぶ箒が動き出す場面で、滑稽でありながらも躍動感あふれる、技巧的なスタッカートのパッセージがファゴットによって奏されます。ディズニー映画『ファンタジア』でもお馴染みの、ファゴットの「道化師」的な役割の決定版です。
    • チャイコフスキー/交響曲第6番《悲愴》第1楽章:絶望的な低音で始まり、やがて中音域で深く、魂を揺さぶるような悲嘆の旋律を奏でます。ファゴットの持つ、内省的で感情的な側面に焦点を当てた、最も美しいソロの一つです。
    • プロコフィエフ/ピーターと狼:この楽曲では、ファゴットがおじいさんの役を担当します。低音の響きで、頑固でありながらも温かいおじいさんのちょっと滑稽な性格を見事に描き出しています。
    ファゴット演奏の「難しさ」:複雑なメカニズムとリードとの格闘

     ファゴットは、その魅力的な音色の裏で、演奏家にとって非常に難易度の高い楽器として知られています。

    • 複雑な運指(フィンガリング):ファゴットには、実に20から30個ものキーと穴があり、一つの音を出すのに複数のキーを同時に押さえたり、穴を半分だけふさぐ、など非常に複雑な運指を要求されます。これらを10本の指全部を使って操作しますが、右手の親指だけで10個のキーを操作します。全く関連の無いような指の形を次々に滑らかに動かさないと美しいメロディーは吹けません。まじで指がつります。
    • 息(ブレス)のコントロール:全長2.5メートルの長い管に息を吹き込むため、非常に多くの持続的な息の圧力が必要となります。しかし、同時に、ダブルリードのデリケートな振動を妨げないよう、繊細なコントロールも求められます。音程や音色の安定は、この息の絶妙な調整にかかっています。
    • リード(葦)との格闘:ファゴット奏者にとって、最も深刻な難題はリードです。アマチュアは既製品のリードを使いますが、プロ奏者は自分で葦の原材料から削り出し、成形し、微調整を重ねて理想の音色を持つリードを作り上げるそうです。湿度、温度、そして奏者の体調によってもリードの状態は常に変化するため、これは演奏家の終わりなき戦いとなります。良いリードはファゴット奏者の命であり、その日の演奏の成否を大きく左右するのです。しかも、リードには寿命があり、せっかく良いリードに出会ってもどれだけ持ちこたえてくれるか、悩みの種は尽きません。
    結び:道化師から哲学者まで

     皆様、ファゴットはただの「道化師」ではありません。低音の道化師として軽妙に場を和ませるかと思えば、次の瞬間には深遠な哲学者のように思索に耽り、オーケストラ全体の響きを根底から支え、甘い憧れや時に悲痛な悲しみを奏でることができます。できるはずです。はい、できるように一生懸命練習します。
     次回の第33回定期演奏会で演奏する「シェヘラザード」ではファゴットの華麗なる超絶ソロをお目にかけます。かける予定です。あぁ、お目にかけられたらいいなぁ。舞台真ん中後方、木管楽器の一番奥の場所に座っている、このファゴットにぜひご注目ください。きっと、その豊かな表現力と、奥ゆかしい魅力に引き込まれることでしょう。(普段は周りの楽器にかき消されてあんまり客席からは聞こえないのですがね。)

    文責:O.N.(Fg)